近年のティワナク研究において重要な研究を最後に挙げておく。この研究は、単なる古代史の生業研究にとどまらず、現代の開発の問題とも結びつくといった現代社会へ直接関わる重要な取り組みでもある。
応用考古学
ティワナクと現在の村とのつながりは、実は、遺跡の観光事業だけではない。忘れてならないのが、SukaKollu (スカ・コリュ)(水路用の堀で囲まれた盛り畑農耕)の復元実験と、その応用である。応用への試みは、ほとんどが失敗に終わったものの、それでもなお細々と続けられている。現代では失われてしまった古代の技術のうち、現代の開発問題へ応用できるものは積極的に応用してゆこうといったその方向性は、認めるものがある。専門的にはこれを応用考古学という。
1980年代後半、ティワナク時代の生業技術の中心として有望視されていた農耕技術の復元実験がボリビアで行われた。実は、これに先立ち、ペルー領のチチカカ湖北部沿岸などで、すでに同様の実験が行われており、そこで一定の成果を挙げていた。ボリビアでは、1980年代後半になって行われる。これらチチカカ湖の南北沿岸で行われた復元実験から、このsuka kolluは、一般の天水農耕よりも生産性が高いことが示唆された。
この実験で復元された畑は、畑を水路用の堀でかこみ、畝の部分を盛り上げたもので、アイマラ語でSukaKollu (スカ・コリュ) 、ケチュア語でwaru waru (ワル・ワル) 、スペイン語でcamellones (カメリョーネス) 、英語でraised field (レイズド・フィールド) と呼ばれる。そして、1970年代から80年代まで続く先住民文化称揚運動とあいまって、復元実験は、ティワナク周辺地域から、コパカバーナ(Copacabana)、ビアチャ(Viacha)といった広範囲で行われた。そして、この復元実験で得た高い生産性が着目され、この技術を現代へも応用することで、貧しい村々の農業生産を高めようとするプロジェクトが始まった。
短期的な視点に立てば、これらの実験はほぼ成功に終わった。つまり、一般に現地で行われている天水農耕に比べ、単位面積あたりの生産性がはるかに高かったのである。天水農耕に比べおよそ3倍以上、生産性が高い地域もあった。さらに、冷害に非常に強いことも確認されている。
この結果をもとに、SukaKolluの開発問題への応用が始まった。その後、外国のNGOなどの援助のもと、広範囲にわたって応用が行われていった。
ウリヤ きくすい ルーン はに丸 フィッシン サディ ビアガー ジャック コスプリ ワニス 深海 トリオ パンパン ボート レーター しじゅう オフロード シーン ドラム ナミビア やちょ アカペラ セミプロ レガッタ ロヤジル トルソ フフホト ケモカイン リンリン メシマ ニュー ビュス プロテクト テーブル シャレー コリオン 四季の綱 トメント フォロー オマージュ ゲート パセリ フォーク ナーダム おきな シート しょうわ サック ティペット ジョンツ
しかし、長期的視点に立てばこの実験は失敗に終わってしまう。1996年までに、ペルー領の実験もふくめて、全て放棄されてしまうのである。現在では、遺跡の周囲に実験の跡が残っているのみで、ティワナク村では、実際には利用されていない。原因は、年々生産性が減少して行ったため農民たちの関心が薄れていったこと、労働力が思ったよりも必要になりかつ協同労働でなければうまくSukaKolluの運営ができないこと、いくつかの地域では水が圧倒的に足りないこと、そして発展途上国の多くの地域で見られる労働力の過少利用つまり過少生産性の問題などがあげられる。
もともとラ・パスに2,3時間で行ける範囲(例えばビアチャ近郊の共同体)では、男たちは都市部での賃金労働に従事することが多く、農村には女子供が残って農作業を行うことが多い。しかし、初期の実験では、これら女子供に対して、力作業である伝統的な踏み鋤による耕作を導入したためうまくいかなかったという例もある。また、一番大きな原因は、SukaKolluに必要な労働投下量である。これが一般的な天水農耕に比べはるかに高く、そしてそれが地域全体による協同労働のもとで行う必要があった。しかし、現代の小規模家族経営に近い農民たちにとっては、これが負担になり、結果としてSukaKolluの維持が困難になっていった。
それでも、いったん放棄された応用実験も、小規模になったものの2000年ころから再び復活する。現在までのところ、Programa de SukaKollu(PROSUKO)という団体によって、2008年までの応用実験が行われている。特に、農民たちによる自立的経営、および生産物の市場経済への組み込みを主な目的として行われている。そのため、PROSUKOは、SukaKollu自体の運営へはほとんど関与せず、農民たちの自立的組織 Unión de Asociaciones Productivas del Altiplano ( UNAPA ) によって管理するように仕向けられている。現在、ティワナクの隣のアチュタ・グランデ(Achuta Grande)共同体や隣のカタリ(Catari)盆地にあるワクリャニ(Wakullani)共同体、プエルト・ペレス(Puerto Perez)、バタリャス(Batallas)地域の周辺共同体などで見ることができる。
アチュタ・グランデやワクリャニ共同体はティワナク期にもSukaKolluが利用されており(地下水位が高く河川沿い、あるいは湿地帯のため水の潤沢な供給が可能)、また、このほかの地域も比較的、水の供給が可能な地域であることも、これらの地域が復元実験に選定された理由である。
このほか、アチャカチ (Achacachi)の軍事施設(河川沿い)でも軍事教育の一環として行われている。
文化人類学者や考古学者たちからの新しい批判
長期的視点からみた実験の失敗から、2000年以降になると、SukaKolluの生産性について、文化人類学者や考古学者の間で、異論が出始めている。ティワナク期に利用されていたことは間違いないが、その生産性や人口支持能力、ティワナク社会における生業基盤としての重要性などについては、疑問視する声が出始めている。
過去の実験では、ナス科植物の塊茎類で多く引き起こされる連作障害に対する考古学者らの知識がまったく不足しており、同じ土壌でジャガイモの連作を続けたため、寄生虫(シストセンチュウ)(Nematoda)が沸くという事態を引き起こしている。そのため、年々、生産性が減少していった[32]。
アンデスでは、必ずといっていいほど、どこの地域でも輪作・休閑システムが採用されており、塊茎類(ジャガイモ)を続けて栽培することはない。必ず次年度は別の作物を植えつけるか休閑を行う。これは土壌の地力回復というよりも、むしろ寄生虫などによって引き起こされる連作障害を避けるためであることが確認されている。休閑することで寄生虫の大量発生を避けるのである。ちなみに、このナス科植物の塊茎類に多く見られる寄生虫問題は、昨今、日本でも問題を引き起こしている。
こういった側面から、実際にはこれまで言われてきたほどの生産力がSukaKolluには存在しなかったと考えられる[33]。特に、仮にある単位面積あたりの総生産量を算出したとしても、それが毎年、同じ土地で収穫できるわけではないため、実際には非常に土地集約的な技術となり、一定水準の生産高を維持してゆくためには、相当量の土地が必要とされてしまう。しかも、その土地は水を十分に確保できる土地であることが最低限の条件となる。しかし、実際にはティティカカ湖畔か水量が豊かな河川沿いか地下水位の高い土地といった制約を受けてしまうのである。
上記にあげたアラン・コラータは、最盛期のSukaKolluの生産量およびそれに基づく人口支持能力を、現在の地表調査から推定されるSukaKolluの広がりから求めている(Kolata 1991)。しかしながら、この同時期に利用されていたと推定したSukaKolluの広がり自体が、実際には輪作や休閑システムのため、彼の計算値の半分近くか、それ以下になってしまい、最終的には彼が計算した生産量および人口支持能力も同じように激減してしまう。そのため、SukaKolluが生産技術としてどこまで有効でありえたのか、は非常に問題となってくる[34]。
また、このSukaKolluの広がりも上で触れたように制約がある。
チチカカ湖沿岸の表面調査(ペルー領およびボリビア領)から、このSukaKolluが、チチカカ湖沿岸の湿地帯か、そこから延びる河川沿いの一部、水源地帯などにしか広がっていなかったことが確認されている。そのため、実際には、天水農耕がティワナク期においても現代と同じように中心的技術であったことが確認されている。さらに、ティワナク谷下流域では、テラス(段々畑)が比較的広がっており、またコチャと呼ばれるため池農耕なども規模は非常に限られるが存在していたことが確認されている。
本来、SukaKolluのような、堀をめぐらせた盛り畑農耕は、パプア・ニューギニアやメキシコなど世界的に見ても、湿地帯向けの耕作技術である。ボリビア国内においてさえ、似たような堀を持つ耕作方法は、アマゾン地域の湿地帯モホスなどで多く見られる。堀の役目は給水よりもむしろ排水と考えられる。
しかし、ティワナク谷は一部を除いてほとんどの地区で水が不足しがちである。短期の実験ではあまり問題にはならなかった水の問題も、長期あるいは永続的な利用となると水源が足りず、水不足を引き起こしている。
ティワナク谷は全体でおよそ560から575km?あるが、SukaKolluに利用されたと想定されている面積は、現在失われたものを想定して約60km?ほどとされている。同時に、ティティカカ湖沿岸の湿地帯であるカタリ盆地では、調査者が踏査した総面積102km?中、SukaKolluは70km?に広がっていたと想定されている。このことは、この技術が湿地帯向け技術であることを示している[36]。
また、ペルー領のティティカカ湖西岸(フリアカからプーノ、デサグワデーロ付近まで)の一般調査でも、現在確認できているSukaKolluの広がりは、調査地域全体の28.5%ほどしかない[37]。ただし、これは現在確認できる範囲のものに限られており、土地の改変を受け消滅してしまったSukaKolluがあったことも考慮すれば、もう少し広がっていた可能性はある。それでも、これまで言われるほどSukaKolluがティティカカ湖盆地全体に大きく広がっていたわけではないことがわかる。
また、上記でも述べたように、SukaKolluの運営における効率性の面からも問題があげられている。つまり、単位面積あたりの生産性は高いものの、労働力の投入が、一般に行われている天水農耕の4倍近く必要とされるため(労働集約的技術)、結果的に、一人当たりの見返り(労働者あたり)が、極端に低くなる(単純計算で、一般的天水農耕の約半分以下)というデータ[38]もある。
このような経緯から、この研究を指導してきた考古学者が主張するSukaKolluの効率性や、算定したSukaKolluによる人口支持力の計算値 (SukaKolluで何人の人口を養えるか) に対して、人類学者や考古学者の間で疑問視されはじめている[39]。
今後の課題
このように実験結果やその解釈に疑問の余地が多く残るものの、SukaKolluにおける単位面積あたりの最大生産量は、一般の耕作地のそれに比べ高い可能性がある。そのため、SukaKollu農耕における労働投下量さえ抑えることができれば、理論上は労働者一人当たりの生産性を高めることが可能となる。
現在ではこれらの問題点を克服するため、トラクターを導入したり、化学肥料を使ったり、繁殖力の強い種芋を購入したるするなどしている。
今後の大きな課題は、これら、労働投下量の縮減と単位面積あたりの生産性の向上にある。
また、生産性といった技術的側面だけではなく、それら技術が利用されている社会環境の整備といった根本的な問題がある[40]。特に、市場経済との結びつきを強め、現金収入を促進し、農民たちの過少生産性を引き上げることは、今後の最大の課題となろう[41]。そこには必然的に地域やSukaKollu経営家族たちによる協同労働形態か、あるいは機械化を伴った小規模家族経営(トラクターは各家族で持ち回り)が理想とされてくるであろう。